電圧「竹」コース

梅コースの「力」という表現は、間違いだともいえないのですがちょっと微妙なところです。「力」というとそれこそ力学でやるような、荷物を押す力だったり重力だったり、が浮かぶかもしれません。「電流を流す力」というのがあんまりピンとこないかもしれません。今回の「竹」ではもう一歩進めます。

電界中に電荷を置くと

電荷のたまった「1」の状態の金属板を考えます。もし両者の間に電荷を置いたらどうなるでしょうか?プラスとマイナスは引き合うので、置いた電荷がプラスならマイナス側へ、置いた電荷がマイナスならプラス側へ引き寄せられます。

この状況を、物理学では2枚の金属板の間に「電気的なフィールド」ができている、と考えます。このフィールドのことをその名のとおり「電界」と呼びます。
空気は電気をほとんど通さないので多少のフィールドがあっても何も起こらないですが(よっぽどフィールドが強ければ「雷」が発生します)、導電物を板の間に入れると導電物内に多数ある電子がフィールドにつられて移動し、電流が流れるわけです。
電流が流れるにつれ2枚の金属板に電荷がなくなっていくわけですが、それに伴い「フィールド」もどんどん弱くなっていきます。最終的に電荷がなくなると、フィールドはゼロになります。

「電圧がかかっている」とは、その間に電気的なフィールドが発生していることを意味しており、電圧の強さ(高さ)は、この「フィールド」の強さに対応します。ここで注意ですが、「フィールド」があるからと言って、そこに電流が流れているとは限りません。電流が流れるかどうかは、その間にある材質によります。


乾電池で感電する?

また電池でも考えてみましょう。例えば乾電池(1.5Vとか)のプラスマイナスの間を指でつまんでも、電流はほとんど流れません。しかし銅線なんかでつなぐと電流が思いっきり流れます。

指と導線のフィールド
 

比較のため、指の長さと銅線の長さを同じにします。こうすると、指でつなごうが銅線でつなごうが、その中に生まれる?電気的フィールドの強さは同じになります。
しかし指(人体)の中にある電子(などの電荷を運べるもの)に比べ、銅線の中にある電子のほうが同じフィールドをかけた際に格段に動きやすいため、銅線だけが電流たくさん流れ、指には電流がほとんど流れないのです。
乾電池は、何かをつないでいるときもつないでないときも、ある強さの電気的フィールドを生み出しています。その強さ「電圧」の値に対応します。

改めて言うと、この「フィールド」は物理でいうとそのまま「電場」あるいは「電界」と呼ぶのですが、電圧との関係は

<電界の強さ>=<電圧>/<距離>

となります。同じ電圧の乾電池の両端を接続するときに、銅線の長さを倍にすると電圧はもちろん同じですが、電界の強さは半分になります。長さが同じであれば、接続したものがどんな材質であろうが、電界の強さは同じです。
また、同じ長さの物質で接続した際、乾電池の電圧が倍であると電界の強さも倍になります。

個人的には、この「竹」コースの説明が一番好きです。「電圧」は必ず「電界」とセットで現れるもので、物理をちゃんと勉強した後でも竹コースの説明は本質をはずしていません。「電圧」のことを「電流を流す力」と説明するよりは、「電気的フィールドを生むもの」と言ったほうが本質に近いと思います。

*ちなみに電気メモリでは正負の電荷がたまった板の間に「電界」が存在していました。「電荷が存在していること」はその周辺に電界が存在する「十分条件」ですが、「必要条件」ではありません。「電荷がなくても電界が存在する」という状況はいくらでもあるのですが、ちょっと深い話になるのでここでは述べません。

竹コースの結論:「電圧」はその2点間における「電気的フィールド」とセットである。電池は「フィールド発生器」として働く。




はっぴぃ理系らいふ、いぇい

ヽ(・ε・)人(・ε・)ノ キミモナカマニナロウゼ   

【文責 べじぱみゅ】